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2022/01/31 14:00



SNSで表現している自分の姿。

それって本当のあなたですか?

あなたとはまったく違う人物、
本当の自分を提示していない場合、

それは主人公症候群かもしれません。


主人公症候群とは、

まるで映画の主人公のように
自分を中心に表現し、

周りの友人は
全て脇役として考えます。

映画女優のごとく自分に
スポットライトをあて、
自分を提示し、

現実について妄想的であり
注目を浴びることが
快感になります。


もちろん誰しもが、自分が物語の中心、
主役だと思いたい。

自分の人生だから。

それは必ずしも悪いことではありません。


誰もが自分の人生の
「主人公」であるということを
楽しむコンテンツとして
TikTokは特にその傾向が強くなります。

この主人公症候群、近年
メンタルヘルスにおいて議論されています。


TikTokを見ていると

とある映画のワンシーンの
有名なセリフを、
自分が言っているように
口パクする動画があったり、

有名歌手の歌声をBGMで流し、
それに合わせて口を動かし、
歌ったり、踊ったりする動画や、

CMや歌手のPVなど
そっくりそのままを、
自らがなりきって演じた動画など


自分をメインに撮影し、
主人公として

周りはその他エキストラと捉える。


もちろん自己を表現するってことは
すごく大事なこと。


でも、それが行き過ぎると

自分だけが物語のヒロインである
自己愛、ナルシズムが強くなり、

他人への敬意、感謝、評価はせず、

自分の物語を前進させて、

周りの友人や他人は、
自分を支援するためだけに
存在しているエキストラや
小道具のように捉えて、扱うようになります。


またもっと注目されたい、
評価されたい、良く見られたい、
承認されたい、視聴者が喜ばせたい
という欲求が加速し、

本当の自分自身ではない姿を
投稿するようになってしまうということも。


虚構、虚像、ファンタジー、
夢想、ヒーロー・・・

インターネットではそれが簡単に、
そしてすぐにできてしまうということ。


現実世界ではない
もう一人の自分。

こうなりたいという願望。
そのように自分は
生きているというふりをする。


自分に酔った、きらびやかな自分、

聖人君子のような素晴らしい自分、

ヒールに徹したり、

過激にパフォーマンスしたり、

明るく元気に振る舞ったり、

悲しい主人公を演じたりなどなど


もう一人のペルソナ像をしっかりと守り、
なりたいキャラを演じ、ふりをし、

簡単に、即時に自撮り写真や動画を
アップロードして、ソーシャルの世界では
形成していける。


この主人公症候群の負の側面とは


自分を人生の主人公として、

名女優がごとく、常にスポットライトが
当たっていないと気が済まず、

他人は自分の人生を彩るただの
エキストラとしてみなして

自己中心的で、自己愛が強く
ナルシズムな側面が増長する。

ソーシャルメディアが引き金となって。


そして自分の人生に
注目してもらいたい、

輝いている自分を見てもらいたい、

承認されたい、

自分こそが舞台の中心だという快感を
次々と満たそうと、

本当の自分が隠され、
全然違う自分、フェイクな自分、
フェイクな人生をソーシャルメディア上で
再び構築していく。

本当の自分ではなく、
完全に違った理想の他人になりたい。

現実、実際、事実とはかけ離れた、
まった違う、架空の自分、
人生を提示する。

それによって現実と
向き合わずに、現実を考えることから
遠ざけ、逃げ込んでしまう。

ソーシャルメディアを通して
現実から脱出する。

現実の代替えバーションを作成する
デジタルファンタジーライフ。


「脱出を維持するファンタジー行動は、
人格障害だけでなく、不安やうつ病などの
心理的問題を発症しやすい人にとっても
深刻な問題になる可能性がある」と
スウォンジー大学の心理学者は警告しています。



タレントのGENKINGさんが
以前、偽りのセレブをインスタ上で演じていて、
それに疲れ果て、カミングアウトされたことが
大きくとりあげられていました。


アカウント上で再構成するもう一人の自分。

自分は自分だけど、
現実世界の自分とは
まったく人格の違う自分。

短期的には自尊心が
高まるんだけど、

結局は、自分で自分の首を
絞めることにもつながるリスクも
あるということ。


パンデミック、コロナによる自粛。

単調でつまらない日常。

そんな退屈な日常、人生を吹き飛ばしたい、

映画スターのように輝き、
主役となったふりをして、振る舞うことで

自分に注目されることに快感になり

人生の単調さから抜け出したい人が

せめてソーシャル上だけでもと
自分が主人公となって
動画や画像をアップする。

映画さながらのショート動画。

ソーシャルメディアは一般化しつつある。

行き過ぎると人格障害の領域に
迷い込むリスクが高まり、

また自己愛性パーソナリティ障害のような
心理的問題に苦しむリスクも高まります。


自己愛性パーソナリティ障害ってのは

自分を実力以上に盛って、
力や業績を過剰に誇示し、

他人から認められていることや
凄いと注目されることに期待する。

他人を見下し、批判する。
でも批判されるのにはめっぽう弱く、

批判に極端に恐れる。敏感。

自尊心が弱く、本当の自分が好きになれない。

こんな感じ。


そう、主人公症候群の
メンタル状態って
この自己愛性パーソナリティ障害の
特徴って、近しい、共有する部分がある。


ようは、心理的な問題へと
発展するリスクがそれだけ
高まるってこと。


つまらない、不満、不足、不安。

能力不足、自信がない自分、弱い自分。


嫌な事から目を背け、
現実逃避して、

偽りの自分を簡単に作れちゃう。

賞賛され、楽しく、
なりたい自分になれること。

主人公のように注目され、
中毒化していく。

業績や名声を誇張する。

誰にも止められないこのサイクル。


若いミレニアムやZ世代は、
特に主人公症候群の罠に
陥りやすくなっています。


そこで、


1)認識する



フェイクな自分を認識する。

アカウント上で演出している物語に
辻褄や一貫性をもたそうと

本当の自分とは違う行動、
ライフスタイルを無理に
合わせようと、自分を偽造しようとする。

リアルな自分、事実の
イメージを変えたり、操作したりする。

まずはそうしてしまっている自分がいることを
認識することからはじまります。



2)自信をとりもどす



自分の人生のコントロール感が
なくなっている時や

自分の能力が欠けていると感じてしまう時、
自信がなくなっている時や

自尊心が低下している時など、

今の辛くて悲しい気持ちを避けて
逃げたくなってしまうのは当然のこと。

自分に光があたり賞賛される空間へ
逃げ込むのは、とても心地よく
安全に感じるから。

自尊心や自己肯定感が低下している時、

自分が誰であるか、
自分はどこにいきたいのか
自分の根幹をあらためて見つめる。

自身の人生を取り戻すために、
内側に耳を澄ませて、

自分に焦点を合わせることに
集中する。

自分の内側へと集中し、
自分自身を知り始める旅に出ること。


・目標、夢、挑戦、情熱は何なのか?
・自分のコアバリューは何なのか?
・自分の強みやスキルは何なのか?
・誰よりもうまく、はやく、簡単にできたことは?
・恐れは何か?不安は何か?
・何が自分を笑わせ、何が泣かせるのか?


自分の長所と短所リスト、勝利のリスト、
不安や歓喜リストなど、

あなたにとって最も重要な人生の目標を、
特定し、分析する。

自分を深く掘っていく、
理解していく。

自分ごとに集中する。

しっかり時間をかけて
過去にうまくいかなかったことや
思い通りにいかなかったことを
改めて振り返ることも必要。

例えば、

・振り返りたい状況や活動は何か?

・状況や活動の前に何か、どのように気づき、感じましたか?
(状況前はどのような考え、感情、身体の感覚を持っていましたか?
ここでは「あれは悪かった、ダメだった、よくなかった」など判断はしないこと)

・その状況や活動の後は、何か、どのように気づき、感じましたか?
(ここでも自分はこうだと判断はしないこと)

・この状況から何を学び、何を覚えていますか?

・この学びを次に活かす方法は?次はどのような状況時に適用するか?

過去を後悔し、恨み、怒りなどと判断し、
否定せず、過去を認め、承認してあげること。

そして手放すこと。



自分が既に持っている能力に気付き、
集中する作業。

そして
自分が行きたい場所へ
どのようにしてそこに行きたいかに
コミットする。

変化が必要だと感じるものを変えるために、
どの方法を適用すればいいか。

自分にとって正しいと感じることをし、
正しくないと感じることはしない。

自分自身を認識して、自分に正直に、
より自分の望むほうへ人生の舵をきる。

成長と学習に集中して
焦点を合わせる。


3)瞑想



悲しいことや不安なこと、
自分に自信がないこと、
それら受け入れたくないから抵抗する。

抵抗するから、余計と傷に痛みを感じ
抵抗すると何年も痛む。


静かに目を閉じ、呼吸を整える。

現実、事実と向き合い、
今、この瞬間を認識する。

他人の声ではなく、
自分の内なる声に耳を傾ける。


過去を承認し、通過させ、
本当の自分を解放するオープンマインド。

瞑想と呼吸法は、不安や否定、心配事、恐怖など
感情と応答との間に、スペースを作ってくれ、

一時停止でき、感情を
ただ通りすぎるだけのものとして
傍観できる。

感情は、さざ波のように行ったり、
来たりするものであって、
ただ心を通りすぎるだけの情報にすぎない。

このように情報へ通行許可を
与えたということは、それはつまり
【承認】や【受け入れ】に
繋がるということ。


仏教では、
「受け入れて降伏する」瞑想を教えています。

静かに座ってください。

息を吸う時に、「受け入れる」と自分に言い聞かせください。
息を吐く時に、「降伏」と自分に言い聞かせてください。
これでおしまい。

雑念が現れても、それについて
特別な意味付けをせずに、

ただの情報として
ただの映像として
脳裏を通りすぎてゆくだけ。

再度、穏やかに呼吸と2つの言葉に戻ること。

他にも、言葉を変えて
息を吸う時に「この世界をそのまま受け入れます」、
息を吐く時に「この世界の支配を放棄します」
と自分なりのアレンジで。


4)デジタルの遮断



ソーシャルメディアは
ついつい他人と比較してしまう。

比較したくなくても、
比較サイクルがオンされる。

それは自分の欠点、足りたい部分、
持っていない部分が
如実に浮き彫りになってしまうから。

煌びやかで充実したキラキラした
動画や画像は、高度に編集され、
加工された、人生のほんの一瞬の
最高の一コマであり、日常ではないのにも関わらず、


なぜ自分はこのようになれないのか、
なぜ私はこの人のように
幸せではないのかなどの疑問が生まれ、

ねたみ、そねみ、嫉妬、恨み、

自分がみっともなく、
落伍者のように感じ、

自信をなくし、

悲しくなり、不平不満、
後悔や不安を煽られ

自分への失望感や
劣等感などが醸成されてしまい

それが主人公症候群へと更に
駆り立ててしまうトリガーとなる
リスクがあるから。

この際、一旦デジタルとの距離を
見直してみる。禁断症状が出ていたら
一旦停止して、デジタルデトックスをする。

週に1回でも、1日1回でもいい。

デジタルとの距離をとる
休息日を設けると
復活後は、なぜあれほど過度に
意識が向かっていたのだろうかと思うほど
すっきりするから。



いかがでしたか?


人は誰しも、他人から
良く見られたいと思うし、

多少なりとも自分を
良く見せようと表現したり、
アピールすることだってある。

また自分の人生なんだから
自分を主人公として扱い、
扱われたいと思うのは当然のこと。


でも行き過ぎすると、
メンタルヘルス的にダメージを負う
リスクが高まってしまう。

サイクルに注意する。

自己認識する力を高める。
自分にコミットする。

いつでもブレーキを効かせて
減速できる体制を
準備をしておくこと。

何事もバランスね。


おあとあがよろしいようで。
今日はここまで。
おしまい。



Good virtues グッドバーチューズ