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2021/11/02 14:00





人間、誰しも間違いはあります。

完璧な人などいません。

その過ち、自分の過ちを
他人のせいにする時はありますか?

それによって自分への注意を
他人へ向けて非難を逸らし、
自己を防衛していませんか?

また自分のことを棚に上げて、
他人の過去の過ちを
持ち出すことなどしていませんか?

心理学用語では
ディフレクティング(Deflecting)とか
ディフレクション(Deflection)と呼ばれていて

進路を逸らすとか、
向きを変えるとかってイメージ。

他人へ非難をそらす
心理的な防御規制ってやつです。

他人のせいにしたり、
他人の無関係な別の否定的な行動や
過去の過ちを指摘して、今の否定的な
活動の責任を逸らしたり。

自分の否定的な結果に
面と向かって対峙せずに、避ける行為。

それにより、傷つかずに済んだと安堵し、

安全を担保される場所、
まるでセーフティーゾーンにいるような
錯覚を生み出し、

他責によって心理防衛することが
いつしか常習化、中毒化し、

無意識的に思考回路がそのように
強化され、習慣化され、
もはや疑う余地がないほど
信念レベルにまで達してしまう。


人は誰しも、できることなら、

褒められたいし、良く見られたいし、
肯定してもらいし、評価されたいし、
信頼されたいし、尊敬されたいし、
ポジティブな存在でありたいと思う。

怒られたくないし、
嫌われたくないし、
否定されたくないし、
無知無能だと思われたくないし、
間違いを犯していると思われたくない。


しかし、その自分の自己イメージを
崩さないよう、

また崩してしまうことで、

自分がネガティブな
心理状態に陥りたくないと、

不快感や不安を
引き起こそうしているものから
自分自身を防御するために

自分の過ちの説明責任を負わずに

相手に責任を転嫁して回避し、

他人を非難したり
自分を正当化し、

他人を感情的に
傷つけているようであれば、

自身のディフレクティングに気付き、
過ちを受け入れることから始めることが
重要になってくる。


また一般的に自分のことが可愛く、
自分大好きなナルシストな人は

ネガティブなことに対して
説明責任を負うことを嫌う傾向が
高いと心理学では言われています。

もちろん全てのナルシストがとは
言い切れません。

物事が彼らの計画通りに進まなかったり、
批判されたり、否定されたり、
完璧ではないと感じたりなど

うまく、きれいに、スマートに進まず
”見栄え”や”みてくれ”が悪く感じた時、

多くのナルシストは、
すべての責任を他人に
負わせようとしてくる傾向が高いとのこと。

自己陶酔的な人にとって

欠点を認めることができず、
他人からの評価も非常に敏感で、

批判や弱点を指摘をすると、

彼らにとっては不快であり、
ディフレクターになる可能性が高まります。

そして、自分の見栄えが
良くなることであれば、
責任転嫁して、相手を傷つけたとしても
全く気にしないという傾向があるようです。


いずれにしても、ナルシストの有無に
関わらず、ディフレクションを
理解し学ぶことは、

外部環境や他責にして、
自分の人生のコントロール感を
手放してしまう癖を再考する機会となり、

またディフクレションによって
相手のせいにし、相手を傷つけ、
悲しませているかもしれない
ということを知る機会にもなるってことで。


そこで、


1)気付くこと



まずは他人事ではなく、自身がひょっとして
ディフレクターなのかもしれないということを
意識することから全てが始まります。

過去に大きなミスで
トラブルが発生したような経験を
思い出してみる。

それには数名関わっていたけど、
自分もそれに大きく関わっていたとする。

それを相手から厳しく指摘され
追い込まれ、ピンチな状況を思い出してください。

誰かや何か他のものを非難しましたか?

自分の行動と決定に対して責任を受け入れ、
自分事として対処しようと動きましたか?

胸に手を置き、
正直に感じたことに答えます。


このような受け入れがたく難しい事実や
難局を前に、あなたはどのような
態度をとりましたか?

「でも」、「だって」、
「あの人が〇をしていたから」、
「それは私のせいではない」
「他にも複数やっている人がいる」

罪悪感を減らし、否定的な結果を避け、

説明責任逃れの思考に
入ってなかったですか?

大きく関わったトラブルや
相手の厳しい指摘に対して、
過去の自分はどうだったか。

そこにヒントが隠れているかもしれないから。

責任を受け入れることよりも、
責任を負わせることに集中し、

言い訳し、自己正当化に
始終つとめていなかったか。

過去に自分の不正行為や責任を
自分事として扱わず、
説明責任を果たさずに、

真っ先に外部に転嫁して相手を非難し、
難を逃れ、他人に罪悪感をそらす。

それによって否定的な結果を
避けることができた経験や

安心感を得ることができたという
成功体験が元になっているケースが
大いにあるから。



2)制御できることに焦点を



他人や外部に責任を転嫁して、
与えて、痛みや不安を逸らそうとせず、

自分自身で所有権、責任を持ち、受け入れ
制御できるものに焦点を合わせます。

受け入れがたい事実が眼前で
起こっている理由は確かにたくさんあるし、

自分以外のところで原因を
探したくなるのは当然ですが

周りのせいだと声高に叫び、
悲しみにくれることに時間を費やしても

外部や環境は変えようがない。

(もちろんあまりにも理不尽
且つ強権が発動され服従させられ
大損害を被ったり、巻き込まれたは話しが別)

状況を改善する方法として

自分にあり、自分の内側にあり、
それは責任を所有し、受け入れ、
自身で改善に向けて前に進むことかと。

自分の決断や行動に責任を持たずに
その結果の責任を外部へ押し付け

いつも責任逃れと責任転嫁している人は、
本当に自分とは無関係なのだろうか。

自分は力は何ももたらした結果に
影響を与えていないのだろうか。

自分の下した選択と行動とその結果や
自分の人生は、

自分には責任が微塵もなく、
全て他人や外部環境のせいになるのだろうか。

そんなに自分の人生というのは
他人や外部に依存しているものなのだろうか。


そうではないはず。



3)習慣化させる



言い訳をして間違いを正当化したり、
責任をそらし始めた場合、
他人に言ってもらうように依頼しておく。

ディフレクター本人は無意識的に、
当たり前に行っていて自分では気づかないことも
多々あり、

どれほど頻繁にそれを行っているのかを
理解していないこも多々ある。

だから少しの指摘や助言で
思考習慣を変えることができます。

しっかりと指摘ができ(ただ非難するだけではなく)、
フィードバックを提供できるような
環境整備が必要になってくる。

間違えた言い訳一辺倒でいても
そこから教訓を学ぼうとしなければ
同じことが繰り返すだけだから。


取り組んでいることが
うまく進まない時や結果が悪い時こそ、

他人や外部へ責任という外側に向いた矢印を
自分に向けて、自分の責任所有権を
取得する機会を探す。

「他人や環境を非難する」メカニズムが発動される
トリガー(引き金)に注意を払い、

ディフレクターになり始めたときに、
一呼吸を置き、周りの状況への洞察を深め、
注意を払うことができます。

あなたが誤って他人や環境を責めているときや、

悪い結果という現実に対して
厳しい指摘で追及された場合、

素直に謝罪し、ご指摘ありがとうと礼を言い、
過ちを認めて受け入れ、

それを次回への教訓として学び、

修正案を出す工夫をし、
改善に向けて話し合うなど。

外部への責任転嫁の代わりに
これらを習慣化する。

なんでもかんでも認めて、全てを
自己責任にするという意味ではないけど、

何か間違ったことをした時は
すぐに素直に認めることで、

次に何をすべきかという、
次にとるべきアクションが
より早くとれるようになるし、

根本問題に到達する速度、
解決する速度もより速くなる。



いかがでしたか?

不安や不快感から身を守るための
心理防衛機制。

防衛機制自体は、正常で自然な部分だけど、

あまり乱発しすぎて、
ネガティブで不健康な使用に
なっていることもあるなら、注意が必要。

自分の過ち、自らの選択、行動の結果、
自らの人生の責任は自らで引き受け、

人生の所有権は自身で
握ることを恐れないこと。

自分の過ちを認め、
感謝と思いやりを示し、

誠実で正直な説明責任を
持つことは大事だってことで。


おあとがよろしいよう。
今日はここまで。
おしまい。

Good virtues(グッドバーチューズ)