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2021/04/12 14:00




「絶対にあきらめないで!」
私達は幼少のころから、
「決して諦めないで」と回りの大人から教わってき、
諦めないこと美徳とされてきました。

もちろん、諦めないこと、忍耐力は非常に
大切であり、これがなければ簡単な低い壁でさえも、
高く感じ、すぐに離脱する。

諦めたらそこで試合終了ですよって
スラムダンクの安西先生の有名なセリフ。

この諦めない力によって、
変化に適応し、前進し、突破し、
難局を切り抜けられるパワーになる。

それは紛れもない事実です。

でも、時にはそうではない場合もあるということ。
諦める必要がある時もあるということ。

この時、諦めることに対して
非常にネガティブに思いこみ、

自分を夢や目標から離脱してしまった敗者と
カテゴライズさせ、
悪いことをしてしまったと心に傷をつける。

自分を責めて、罪悪感や自己否定、
自尊心の低下に陥ってしまいがちだけど、

諦めることは決して
「悪」ではないということ。

諦めるということは、時として
「損失を減らし、先に進む時期を知ることを
十分に熟知している人」であることを意味する。

いつまでも固執し、疲弊し、
手放せない状況よりかは、

タイミングを見計らい損切りし、
舵をきりなおし、別の道にトライし、
人生を軌道修正させることも大事な時もある。

諦めるのがベストである
というタイミング。

その損切りをすることイコール自分はダメだ、
悪だ、能力がないと、

自尊心を低下させる必要なんて
これっぽちもないということ。

永続性とあきらめの影響を調査した研究として
ブリティッシュコロンビア大学の研究では、

諦めないで続ける永続性こそが、
成功させるには絶対に不可欠とされがちですが、

頑固にゴールを追求することが、
逆に裏目に出ることがあり、

時として諦めることは、
よりメンタルヘルス的な観点からも健康的で、
より有益な選択肢になるということは
研究で判明しています。

他にも、ドイツのCenter for Lifespan Psychologyの
研究では、

40歳になると女性は出生率が下がるので
その前になるべく産みたいと
必死に妊活し努力します。

40歳超えた後2つに分かれ、
妊娠を諦める女性と、それでも諦めずに
妊娠を第一目標に掲げる女性。

どちらの女性が感情的な幸福感が
高かったかというと、妊娠を諦めた女性の方が高く、
落ち込みも少なかったという。


諦めること全てが「良い」というわけではない。

危険なこととしては、嫌になるとすぐに投げ出し、
放置し、逃げ出し、先送りし、
結局それは続かないから。

達成感もなく、「私でもできるんだ!」っていう自信や
「焦らなくても大丈夫だよ」というセルフトークの
抗力が非常に弱く、自己疑念が出て臆病になる。

だったら、どうやって判断するのか。
諦めるタイミングとはどのような状態の時か。

もちろん明確な回答はないけども、
少なくとも目標から撤退する、諦める
その兆候、シグナルとしては、


1)それがうまくいかないことを心の中で知っているとき



それはうまくいく可能性が高い目標ですか?

目標から離れてしまうこと、
諦めること、それを認めることは
辛くて悲しいことでもあり、それを認めるには
大きな勇気が必要とすることもある。

そのまま突き進まずに、ブレーキを踏み、
諦めることで、

立ち直れないほどの心身ダメージ、
感情の傷、大きなダメージを負ってしまうことを
防止することができるから。

目標を達成するために、
何度も真剣に試みた後ということが大前提だけど。

これと同じ時間とエネルギーを注げる
別の満足のいく目標が、

他にもあるかどうかをリサーチする、
検討する。

その価値が十分にあるタイミング
なのかもしれないってこと。

これは私たちの人間として価値や
自尊心下げることを意味するものではなく、

十分な時間とエネルギーを
正しい方向で、より大きな成果がでるように
投資するという、

前向きで前進するための
決断であり試みであるということ。

決して脱走兵のごとく逃げた悪いイメージを
持つ必要はないということ。



2)それは本当に欲しい?重要なことなのか?



人は、一度立てた目標は達成されるまでは
目標を追求し続けるべきであり、
横道にそれることはよくないことだと考えがち。

そしていったん目標が定義されると、
思考は自動操縦化され達成に向けて走ります。

それら思考に疑問を感じることなく、
当然のことと見なして活動します。

もちろんそれ自体は何も間違いではない。
目標に向けて一直線に向かえるから。

ただそれは、本当に心から望むものなのか?ということが
大切になってくる。

自問する。

その目標、夢は今でもあなたに深く
語りかけているものなのか?

それとも単に掲げた目先の
薄い目標ではないのか?


そもそも、なぜ自分は
それを求めているのか?


ひょっとして、それはもはや今、個人的に
重要ではないことを追いかけているのかもしれないし、

立てた目標は、今はもう以前ほど自分とって
意味がなくなっているかもしれない。

そういうことが往々にしてあるから。

立てた目標を達成するまで逃げたらダメと
圧をかけ続ける。

でもどうも乗り気じゃない、モチベーションが沸かない。
気分が悪い、倦怠感、疲労感、
ストレス性の心身の不安定さ、
慢性的な心労がただよっているという状況。

その目標は離れたほうがいいかもしれないと
理解するための、シグナルだったり
することがあるから。

目標は流動的でも構わないということ。

今、当初に立てた目標に固執し、
それに費やしている時間と労力。

その同じ時間と労力で、
もっと大空へ羽ばたける、
別のルートがあるかもしれない。

そっちに注いだほうが
いい時期にきているのかもしれないと
理解することも大切。

本当の自分。

真の自分のコアなバリューは何なのか?
目指すべき理念、自分の譲れない価値観。
それに沿ったアクションなのかということ。


自分には、他にもっと深い、別の個人的に意義、
意味のある、心が満足のいく目標が、
別にあるかもしれない。

それを再考し、検討する価値があるタイミングかも
しれないということ。

また、立てている将来の目標の追求に過剰に
焦点を合わせすぎて、
今、目の前の、日々の小さな幸せを
犠牲にしていないか?ってことも大切。

そして、追及を幸せに感じれているか。
もしそうじゃないなら、考える必要があるってこと。

未来のために、目標のためにと
未来志向は大事。でもそれで
現実が盲目的になっていいという
意味ではないから。
 
結果がどうであれ、
今、プロセスを最大に楽しむこと。

少しの成長、小さな努力の結晶に
満足できないから、
常に不足感を覚え、喜べなくなる。
どこか不満になり、つまらなくなる。
 
私たちには楽しみにしていることは
人生にはたくさんある。


目標を立て、あとは思考の自動操縦化、
思考のルーチン化をすれば、便利な反面、

それを当たり前にずっと回していると、
気付かなくなり、

今、現時点で本当に目指すべき未来の方向とは、

全然違う方向に、過去のゴールへ向けて
一生懸命舵をきり、進んでいるかもしれない。


過去の大会のマラソンのゴール地点と
今、開催されている大会のゴール地点とは
違うってことがあるから。

そこにズレがないか。

例えば、昔は、全てがお金であり、
仕事も我慢していたけど、
休みの日でも、何を、どこに行くにも、
仕事が頭から離れられず、

いつも心身共に緊張と不安、
プレッシャーとで慢性的に不調だった。

今は、当時よりも得られるお金は減ったけど、
心が満足している。心を最優先にしているなど。

そうだから、本当の自分の幸せのために
物事を考える時であるということ。

次はそういう目標へリーチしていこうと
別の新たな目標を立てる。

ズレを認識し、修正する。

時には振り返り、一時停止し、
修正し、変更する勇気も必要。

そして、深く自分が望んでいるものへ投資しているかを
再度、検討する作業、

それを見つける時間の
確保が非常に大切ってこと。


3)何が問題なのか



その目標から離れるのが怖い。
その理由は何だろう。

他人をがっかりさせるのではないか。
他人から笑われるのではないか
他人からダメな人だと判断され、烙印を押されるのではないか。

他人から・・・

これら心配していますか?

他人を幸せにするために
他人によく見られたくて、
自分の人生を生きているわけではなく、

他人がどう思うか、他人の基準や価値判断で
自分の人生を犠牲にしてまで、
続ける必要はないということ。

自分の幸せを見つけるために、
自分の価値基準、理念に沿って

自分がこれは必要だなということであれば、それは
何でもしてみて、トライすること。

また、目標から離れることによって、
諦めることの恐怖として、

追及しなくなることによって、
自分が自分じゃなくなる、
自分のアイデンティティーがなくなる、
もぬけの殻になってしまうという思い込み。

諦めると、最初のうちは喪失感を覚えるけど、
でも例え、どんな決断を下したとしても、

自分は自分であり、自分の本当の価値、
自分の自尊心まで落とす必要はなく、

その空きスペースを埋めるために、
新しい目標や目指すべきものを再確認し、
再度、別の道で輝くために投資すること。


目標を実現しようとしたけど
進路変更せざる終えない時、離れてしまったからといって
失敗しているように感じたり、
また恥ずかしく思ったりすることはやめること。


前に進んで自分を満足させる
「何か」を見つけるための時間を確保すること。



おあとがよろしいようで。
今日はここまで。
おしまい。