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2021/01/18 14:00



自分との対話でネガティブな
セルフトークをしてしまう時、ありますか?
それはどんな時ですか?

「どうせ失敗するよ」
「やる意味ないでしょ」
「そんな能力ないでしょ」
「できなくて傷つくだけだよ?」

否定的なネガティブなセルフトークは、
心理学では「内なる批評家」と呼ばれています。

内なる批評家は、私達が何か物事をしようとすると
同時に現れます。

そして耳元で、反対し、否定し、

前向きに、進もうと行動しようとすると
その度に、何かにつけて、
言葉巧みに強烈に説得してきて、
進行をとにかく妨害してきます。

内なる批評家の通りに沿って
感じ、考え、動くのは

自分というハンドルを
握られるているということでもあり、

自分は身体だけ。
まるで車体やロボットのような、
外側だけの自分になってしまっている。

はたから見たらそれも自分であり、
あなたですよね。

内なる批評家は、
その後の人生に大きく影響していき、
目標を達成する上でも大きな障害にもなります。


「決して成功しないだろう」または
「他人ほど良くないだろう」と自分に
言い聞かせることは、

自分自身の自尊心を低下させ、
自分への信頼感も低下し、

新しくチャレンジすることや
失敗するということに過剰に
恐れたり、挑戦する勇気が
出なかったりする。

そこで、内なる批評家の声のボリュームを
下げる方法として、


1)味方であるということ



内なる批評家は実は善であり、
味方だということ。

これは無理矢理ポジティブに考えるという
ものではありません。

その起源として、人間はネガティブな個所に
フォーカスするネガティビティーバイアスという
側面を持っています。

8割ポジティブな面があっても残りの2割の
ネガティブな面に過剰にフォーカスするように
脳の仕組みが構築されている。

ネガティビティーバイアスがあったから、
私達の祖先は、過酷な環境や自分達よりはるかに大きく、
力のあるどう猛な動物を相手に、
生き延びてこられたのであり、

もしなければ、ただのポジティブで陽気な
戦略なき、無謀な突っ込みになり、
人間は全滅していたと言われています。

この原始的な「生存者の脳」というDNAは
現代でもいまだに引き継がれ、残り続けている。

脳のこの部分は、”危険”について、非常に敏感で、
非常に警戒していて、
常に脅威に目を光らせています。

警戒し、必要以上に比較対称し、
不足、違い、疑問を浮き彫りにさせてきます。

つまりは、このネガティブな点にフォーカスをあて、
セルフトークしてしまうのは、

危機察知のシグナルであるということ、
私達を危険や失敗のリスクから
守ってくれる味方であるということです。

まずはそのように内なる批評家を捉えること。

内なる批評家は、根本的には、
危機や傷から身を守り、保護してくれ、
私達がうまくいくこと、成功すること、
幸せになることを心から望んでいます。

ただその方法が、
恐れや否定する以外の動機付けする方法を
知らないだけ。

なんでもかんでも否定してくるから、

内なる批評家をビーストや悪者扱いし、
憎み、無視し、聞き入れないのではなく、

その声を聞きはじめること、そして愛を持って、
共感しつつ、受け入れ始めて、飼いならすこと。

内なる批評家を強制的に静めようとしたり、
シャットダウンして、

完全に排除しようとすればするほど、

その声は、今よりも、更に大きな
ボリュームと化してしまう。

内なる批評家に耳を傾けることは、
結果的に否定的な意見にフタをせず、
向き合い、認めるという
承認作業ともいえる。

ネガティブな感情、自己批判的な思考や
セルフトークは、抗うのではなく、
一旦、耳を傾け、向き合い、受け入れることで、

より早く緩和され、傷が癒えることは
心理学でも分かっているから。

内なる批評家の声を完全に排除することは
できません。

批評してきた場合、
「批評家さん、わざわざ考えてくれてありがとうね。
そういう見方もあるよね」と聞きはじめる。

それ以上でも以下でもない。

批評家が正しいわけでも、
間違っているわけでもない。

批評家の意見が否定的で、
私達に恐れや不安を抱くように
私達に語りかけてきても、

やっぱりそうかも。と納得し、
それをうのみにして、
自分の感情を曇らせる必要はどこにもない。

それはただの意見として捉えておき、
ただの言葉であり、その言葉に
力は宿っていない。

その意見に耳を傾けたからといって、
その意見に従う必要はまったくない。


その意見はあくまで批評家サイドから見た
ただの意見であり、ただの情報であり、
その通りになるとはまったくもって限らない。

内なる批評家を飼いならすことで、

ネガティブ面を封じ込め、
見ないよう、聞かないように、
考えないようにするという排除の方向にいかず、

また、批評家の言う通りに全ての選択を従い、
人生のハンドルを批評家に任せて舵をきらないようにする。

否定的な点や面、肯定的な点や面、
色々な角度から物事を見ることが
できるようになり、様々な視点で検討できるように
なるということ。

内なる批評家に耳を傾けずに、抑え込み、無視すると
私たちは学び、成長するのをやめます。

無視せず意見は意見で「そうだよね」と聞く体制で向き合い、
それについて、どう判断するのかは、あとは
全て「自分」であり、

意思決定、選択、脳、人生、
全ては「自分」がハンドルを握っているんだし、

「自分」だけがコントロール権、
決裁権を保有しているんだということ。

あなたの進もうとする方向を
指示させることはできません。
それができるのはあなただけということ。


「私は醜くて愚かだ」と考えることと、
「私の内なる批評家さんが、私が醜くて愚かだと示唆し意見している」と
考えることには大きな違いがあります。

ついつい、ズバっと、
人間性について意見してくるから、

その言葉に、衝動的に
反応し、心が曇りそうになるけど、

必ずしもそれが真実であるとは限らない。

その意見は、ただの、
力のない意見であり、

それについて自分の感情が、
いちいちムキになり、

反応させ、応答させ、
嫌な気持ちになって前に進めない気持ち、
自分を否定したり、能力不足に思う必要なんて
まったくないということ。

そうすることで、思考と私たちの間に距離を作り、
思考をより客観的に観察することができます。

それでも、自己破壊的で、
自己批判が厳しいセルフトークによって、
限界を超えそうなときは、

「あなたの意見を聞いてるが、私はその上にいます」と

簡単に答えるようにすると、

自分へのコントロール感を
取り戻すことに少し役に立ちます。



2)言葉を置き換える




 たとえば、

「間違いが多すぎる、目標を達成できない」などの考えは、

「間違いから学び、成長し、これらが目標を
達成するために必要なもう1つのステップだ」

などの言葉に変えて、バランスを取る。

「私は決して正しいことをしません」と思うときは、

「私は物事を本当にうまくやるときもあれば、
そうでないときもある」

過剰に悲観的、否定的な考えに気づく度に、
バランスの取れた文言に変換する作業を行う。

ダイエットしているとして、
ついつい食べすぎてしまった時、

「なんて馬鹿なことをしたんだろう。この罪悪感。
ほんと私って意思の弱い何をやっても中途半端な人間だわ」

「先週、私はストレスが多すぎて疲れていたので、
しっかり食べて運動も一時停止しました。
今はもっとリラックスしていて、いつもの日常に
戻ることができます。」

繰り返す内なる批評家の意見とそれに対する
自分に言いたい代替の声を、紙に書き留めてみる。



3)反芻をやめる



もし間違いを犯したとき、

その解決策を見つけるために、
頭の中でぐるぐると何度も繰り返し
再生される。これはごく自然なこと。

内なる批評家は解決策に
焦点を合わせてくれません。

批判、否定、懲罰に焦点を
合わせてきます。

反芻していることに気づいたら  、
現時点で自分を助けるために
何ができるかを特定します。

何もできないと感じたら、

散歩に出かけたり、
掃除したり、
友達に電話したり、
座って深呼吸をしてください。

制御不能に陥る前に止めること。

制御不能な感情に対する
共感表現、思いやりとして

「あなたが拒絶されることを恐れていることを理解しています。
それは苦痛です。あなたが私を守ろうとしているのは知っています。」


■執着や反芻思考を止める4つの方法
(過去記事:別ウィンドウで開きます)



4)証拠を調べる



批判的思考、否定的な感情を捉えた際、
それを裏付ける証拠と、そうじゃない証拠を調べる。

・事実に基づいたものなのか?合理的な証拠はあるのか?
・それが正しいとなぜ言い切れるのか?本当に正しいのか?

一枚の紙の真ん中に線を引きます。

一方では、否定的な考えの裏付けとなる
すべての証拠を、もう一方では、それが
起こらないということについての証拠を書き留めます。

議論の両側にある証拠を見ると、
合理的な状況を把握する脳と、
否定的に考えて感情的に
なっているものとの間にスペースができる。

そして

・起こりうる最悪の状況とは何か?を考える。
・物事をどのように見ると、より良い結果が得られるか?
・この考えは他にどのように解釈できるか?他の違った解釈はできないのか?

否定的な考えに挑戦し、より肯定的な見通しを立てる考えを
採用できるかどうかを確認すること。

ストレスを脅威に感じるのではなく、
チャレンジする感覚に切り替えることもできる。



5)大切な友人にかける言葉のごとく



あなたは大事な友人が自己不信や
自己否定、批判的で、辛い状況であることを
知った時、ひどい言葉で罵倒したり、
傷つけたりしないはず。

でもこれ、自分にはしがち。

代わりに、

「間違いを犯したが、大丈夫。世界の終わりじゃないよ」
「最悪、死ぬことはないから」など

思いやりのある言葉を投げかけて
優しく、接するはず。

それと同じように、あなた自身を親切に扱ってあげること。
自分へ思いやりをもつこと。



6)行動する



内なる批評家を「こんな考えはダメだ!」と
追放したい衝動がきたら、
それに抵抗し、受け入れ、大きく包み、抱擁する。

この内なる批評家をパートナーとして
招いてあげる。

国会の野党のような役目であり、
批判ばかりしているけどその根底は、
理想的で住みやすい国を
目指しているということ。

そして、挑戦すること。
積極的に行動すること。

内なる批評家の根底にあるのは、
うまくいってほしい、
幸せになってほしいと願っていることです。

危機に瀕するようなリスクから
守ってくれようとしているものであり、

批判し、否定し、止めようとするのは
親やボディーガードのように当然だから。

その意見の全てに
受動的にならなくてもいい。

自分で判断し、ハンドルを握り、
行動をしている時、

内なる批評家の声は小さくなる。

なぜなら、うまくいってほしいと願っているのは
他ではなく、内なる批評家だから。

「私はすでに正しいことをしている」と
言葉に発することで、モヤモヤした状態から
静かになり、次に何をしたいのか気づきます。



いかがでしたか?

内なる批評家はとてもおせっかいです。

目的は排除することではありません。

これはもうどうしようもないのです。
一生うまく付き合っていくしかありません。

ズバズバ言ってきますが、
それに打ち負かされる必要はありません。
抵抗する必要もありません。

知って、受け入れて、
「考えてくれてありがとう」と礼を言って、
他へ移るときに、静かにその声を置いていくこと。
置手紙のように。



おあとがよろしいようで。
今日はここまで。
おしまい。